忘れることは罪ではない

3.11

東日本大震災から今日で7年が経ちました。

地元秋田を離れ、東京都内の企業に就職し、右も左も分からない状態からようやく毛が一本生えたかどうかの社会人1年目を終えようとしていた僕は、当時の勤務先であった中目黒にあるビルの17階でいつものように仕事をしていました。

床を突き抜けるような地響きとともに、まもなく強い縦揺れが起こり、フロアが悲鳴に包まれる中、窓の外に見えたビル郡がおもちゃのようにじわり、ユラユラとしなり揺れ動いていた様子は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。

震源地の宮城県と比較すれば揺れは随分とマシだったのかもしれませんが、直後は都内の交通機関は完全に麻痺していました。

おそらく都内にお勤めの方の多くがそうだったように、僕も当時通勤で使っていた山手線、中央線、東横線は全て動いておらず、渋谷区から自宅のある武蔵野市まで5時間ほどかけて歩いて帰宅しました。

一気に他人事でなくなった

幸い僕は秋田にいる家族も、震源地の宮城に住む親しい知人も命を落としたということはありませんでした。

ただ、宮城に住む友人からリアルタイムで「お母さんが見つからない!」「津波に流された車が見つかった!」とニュースでしか聞いたことのないような話、土砂にまみれボロボロになった車の写真を携帯で受け取ったときは

これはいつ自分の身に起きてもおかしくないことだ」と。

自分の中の震災に対する意識が明らかに変わる出来事となったことは言うまでもありません。

忘れられることを責めてはいけない

ただ、良くも悪くも人は忘れます。

「忘れるなんてひどい、残酷だ!」そう思う方もいるかもしれませんが

辛さを忘れることができなければ、痛みが永遠に和らぐことがなければ。
その時の心が引き裂かそうな辛い想いをずっと抱えたまま生きていけるほど、人間は強くありません。

時間と共に忘れることは、人が「今」をより良く生きるために、欠かせない能力です。

悲しみの多くは、時間が解決してくれます。

だから忘れることは決して悪いことではありません。

気づいたら支援。それでいい

震源地で被災し大切な人を失った人と、遠く離れた土地で地震を知らされた人。

両者の被災に対する意識が同じわけはないんです。

忘れていたことは罪ではない。
そしてもちろん、忘れていたけど支援したことが偽善になるわけもありません。

偽善とは「応援してます!」と気持ちを伝える素ぶりを見せるだけで済ませること。

「そんなことしても意味がない」

そんな、それらしい理由を並べ立て、結局何も行動を起こさないことです。

「3.11」と検索してください。10円分の支援になります

東日本大震災 復興支援

– 3.11企画 –
いま応援できること。

東日本大震災から7年。

Yahoo!JAPANでは、「寄付」「買う」「知る」「検索」の4つの方法で、みなさまの想いと共に被災地域を応援してまいります。

本日、「3.11」と検索されたかアタおひとりにつき10円が、東北振興にたずさわる団体にYahoo!JAPAN及び応援パートナーより寄付されます。

いま応援できること。|3.11企画 – Yahoo! JAPAN

日本の人口は現在1億2000万人強。

たった10円でも100人に1人が行動を起こせば1000万円、10人に1人で1億円程。

僕が今確認している16時時点で252万人、約2520万円分の支援が集まっています。

痛みを感じてなくても良い。
ニュースを見るまで忘れていたでも全然かまわない。

できる範囲で、いま自分ができることを、出来る分だけ。
それだけで良いんです。

知らなかった、忘れていたは罪ではありません。
問題は気づいた後どうするかです。

あなたが起こしてくれた行動は決して偽善ではありません。
忘れていたけれど、行動してくれた。それこそが支援です。

Yahoo!で「3.11」と検索してください。今だけでいいです。

お願いします、一東北民として。

お願いします。

いま応援できること。|3.11企画 – Yahoo! JAPAN